【雄略陵古墳】(ゆうりゃくりょうこふん)羽曳野市

雄略天皇は5世紀後半の大王で、当時の中国王朝へ称号を求めるために遣いを送った倭の五王の一人、「武」として知られている。

 

所在地 :大阪府羽曳野市島泉8丁目
アクセス: 近鉄南大阪線「高鷲駅」下車 北へ600m

 

 

【津堂八幡神社】(つどうはちまんじんじゃ)津堂城山古墳 / 藤井寺市津堂

【津堂八幡神社】(つどうはちまんじんじゃ)

 

 大きな古墳の上にある八幡さんです。 神社のある津堂城山古墳 墳丘及び内濠は史跡指定。社殿背後の柵に囲まれた、鎮守の森のような後円部頂は、宮内庁治定の「藤井寺陵墓参考地」にあたります。新しい津堂八幡神社の社号標の裏には神社の略歴が刻まれています。 ・天正3年(1575年)織田信長の河内攻めの時、小山城(城山)落城の際、現藤井寺高校付近に所在していたと言われる神社も、同時に焼失したと思われる。 ・享保5年(1720年)津堂城山古墳後円部頂の西端に八幡社を設ける。 
・明治42年(1909年)1月小山村産土神社に合祀。                 ・明治45年城山古墳発掘時、竪穴式石室天井石の一枚で記念碑建立。        ・昭和23年津堂村氏神として復社。                       ・平成23年8月、保存の為に 右天井石の記念碑を提供、新記念碑建立 津堂城山古墳について 形式 :前方後円墳 築造 :4世紀後半 サイズ:墳丘長208m 後円部径128m 被葬者:弁恭天皇仲哀天皇雄略天皇説あり 津堂城山古墳は古市古墳群の中でも初期の古墳で、誉田山古墳よりも古い古墳です。

 

 住所:大阪府藤井寺市津堂41

 

 

 

 

 

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【衣縫塚古墳】 (いぬいづかこふん)大阪府藤井寺市

【衣縫塚古墳】 
古市古墳群に属する允恭陵陪塚、径約20メートルの円墳。

 

古市古墳群に属し、第十九代允恭天皇の陵とされる市ノ山古墳の前方部東側にあり、宮内庁によって「允恭天皇陵ろ号陪冢」に治定されている、径約20メートルの円墳。他に市ノ山古墳の陪塚としては、宮の南塚古墳がある。円筒埴輪や、形象埴輪(家、人物、太刀などが出土している。5世紀後半の築造とみられる。

 

平安時代の初めに衣縫塚古墳周辺にいた、衣縫造金繼(きぬぬいのみやつこかねつぐ)の娘はたいそう親孝行で、両親が亡くなった後も嫁がずに墓守をした。現在、潮音寺にある衣縫孝女碑は、もともとこの墳頂部にあったといわれており、そのため「衣縫塚」と呼ばれるようになった、という。

所在地:大阪府藤井寺市国府1丁目

 

 

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【古室山古墳】(こむろやまこふん)藤井寺市

【古室山古墳】(こむろやまこふん)

 

前方後円墳。1956年(昭和31年)9月22日に単独の古墳として国の史跡に指定され、2001年1月29日には近隣の他の古墳とともに国の史跡「古市古墳群」として、あらためて指定された。

 

古市古墳群の北部、誉田御廟山古墳の北東に位置する。全長約150メートル、後円部径約96メートル、高さ約15.3メートル、前方部幅約100メートル、高さ約9.3メートル。墳丘は三段築成で、葺石が確認される。現在、くびれ部の東側のみに造り出しが残り、周囲に周濠と堤をめぐらしている。
内部構造や副葬品については不明であるが、後円部頂に板石が見られることから竪穴式石槨の存在が推測される。墳丘には円筒埴輪列があり、家・衣蓋・盾・靫・冑形などの形象埴輪も確認されている。出土した埴輪の特徴から、仲ツ山古墳とほぼ同時期、5世紀前半の築造と考えられる。
墳丘の一部には住宅が建っているが、藤井寺市による公有地化が進められている。なお、宮内庁の管理地でないため、墳丘内には自由に立ち入ることができる。

 

所在地 :大阪府藤井寺市古室2丁目

 

【道明寺盾塚古墳公園】大阪府藤井寺市

【道明寺盾塚古墳公園】藤井寺市

五世紀初頭の築造。帆立貝式前方後円墳
全長約110メートル、墳丘長さ約73メートル、後円部径約46メートル、高さ約7.5メートル。前方部幅約20センチ、高さ約1.8メートル。。
造り出しと周濠も確認されている。出土品は鉄製武器・武具・農道具・鏡・玉類など。
府営住宅建設の際に調査され消滅、現在は公園内に復元されている。

 

住所:大阪府藤井寺市道明寺6丁目

 

 

 

 

【藤ノ木古墳】(ふじのきこふん)奈良県生駒郡斑鳩町

藤ノ木古墳(ふじのきこふん)は奈良県生駒郡斑鳩町にある古墳(円墳)。「藤ノ木」の名称は所在地の字名に由来するが、法隆寺関係の古文書・古記録によれば、かつては「ミササキ」「陵山」(みささぎやま)などと呼ばれていた。 玄室内から大量に出土した土師器、須恵器の年代から古墳時代後期、6世紀第4四半期の円墳であると推定されている。この時期に畿内では前方後円墳の造営が終わりに近づいていた。古墳は法隆寺西院伽藍の西方約350メートルに位置する。現在は周辺が公園として整備され、説明板なども多数設置されており、法隆寺周辺の観光スポットとなっている。

 

 所在地:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺西2丁目 
アクセス:法隆寺駅からバスで5分(法隆寺門前下車) 

 

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【松岳山古墳】(まつおかやまこふん)大阪府柏原市

【松岳山古墳】(まつおかやまこふん)大阪府柏原市 

 

国分神社の奥に広がる丘陵上にある全長約130mの前方後円墳です。この古墳には、円筒埴輪や巨大な鰭付楕円筒埴輪(ひ れつきだえんとうはにわ)が立てられていました。後円部墳頂には組合式石棺(6枚の石板を組み合せた棺)が露出しています。石棺を覆う竪穴式石室の原状は 不明ですが、周囲に板石が大量に散乱する現状から石室は墳丘上に積石塚のように築かれていたと推定されます。石棺の南北には大板石が立てられています。南 の立石は高さ2.3m、幅1.4m、北の立石は高さが1.8m、幅が1.4mで南立石には1箇所、北立石には2箇所の円孔があります。立石の用途や何のた めの孔なのかは不明(謎)です。古墳からは銅鏡、装飾品、武器、農工具、土器、埴輪など様々な遺物の出土が知られています。

 

所在地:柏原市国分市場1丁目(国分神社)

 

 *神社裏の小山を登る道は滑りやすい為、運動靴をお勧めします。また、夏場は虫が多いので虫よけ対策が必要です。 古墳の下部を見るのに懐中電灯(又は小型ライト)などがあれば便利だと思います。 また、松岳山古墳を見学の際には、隣接する国分神社社務所にお声をかけたほうがいいと思います。

 

 


松岳山古墳(まつおかやまこふん) 柏原市

松岳山古墳(まつおかやまこふん) 柏原市

 

 

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