【泉尾神社】(いずおじんじゃ)大阪市大正区

【泉尾神社】(いずおじんじゃ)大阪市大正区 祭神:住吉大神、大國主神、八幡大神。 村社産土神社として天保三年(1832)勧請した。天照皇大神応神天皇住吉大神を祀ると、『大阪府神社史資料』にある。由緒について;「元禄十一年(1698)、泉州踞尾の人、北村六右ヱ門、公許を得て新田百四町歩(百万平方米)を開拓し地名を泉尾と呼ぶ。この時、事業の成功、土地の繁栄、住民の平安を祈願するために産土神社を奉斎した。これが創祀である。爾来吾が泉尾の地は平和なる農村として終始したが、明治もすぎ大正となって急に発展を重ね、商工諸産業並び興隆せる近代都会となつた。 昭和十一年、現在地を買収、周囲に石垣を積み境内地と定め、壮麗なる社殿が竣工したが、図らずも昭和二十年三月十三日夜、戦災の為灰燼に帰した。戦後地名を冠し泉尾神社と称し、昭和二十七年、総檜造の社殿が造営された。 此間二百八十余年、泉尾の守護氏神として鎮座、泉尾地域の繁栄を招来せる神明の加護を敬仰し感謝した氏子住民も、朝夕に四季の祭礼に、神前に郷土と家庭の平安を祈願してきたのである。」 住所:大阪市大正区泉尾2-17-8 アクセス:市バス 永楽橋筋下車、北西250m 。 #じゃらん #じゃらんネット #観光 #観光スポット #神社 #社寺仏閣 #絶景 #Sakamoto119 

 

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上の宮 八坂神社】(やさかじんじゃ)大阪市大正区

【上の宮 八坂神社】 御祭神:素戔嗚尊(第一座)、天之穂日命、應神天皇末社第一殿;天一根命(姫嶋龍神)。末社第二殿; 菅原道真公(天満宮)。 三軒家村の開発の大功労者である中村勘助(木津勘助とも呼ばれる)が、京都市東山区祇園町に鎮座する八坂神社の御分霊を勧請したのが正保4年9月(西暦1646年)が期限である。由緒:「当神社は、三軒家村の開発の大功労者である中村勘助(木津勘助とも呼ばれる)が、京都市東山区祇園町に鎮座する八坂神社の御分霊を勧請したのが正保4年9月(西暦1646年)が期限である。社殿は、始め三軒家東2丁目(とう町の丸島)の中央にあたる所に建立されたのが、宝永4年の大津波の水害を被ったため、正徳年間に現在の社地に遷座した。大正8年、中村勘助彰徳会を興し境内に彰徳碑を建立した。昭和20年3月戦災により社殿は焼失したが、その後昭和32年5月に再建され、平成8年11月御鎮座350年祭を盛大に斎行したところである。」 住所:大阪府大阪市大正区三軒家東2丁目7-18 #じゃらん #じゃらんネット #観光 #観光スポット #神社 #社寺仏閣 #絶景 #Sakamoto119 

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【豊川稲荷大阪別院】(とよかわいなりおおさかべついん)正式な寺号は「観音寺」。

豊川稲荷大阪別院】(とよかわいなりおおさかべついん)正式な寺号は「観音寺」。 豊川稲荷 妙厳寺(愛知県豊川市)の別院である。明治31年(1898年)、付近の地主であった萩田利平が、この地を発展させようと、豊川稲荷から、だ枳尼天を勧請し、稲荷堂を建立したのを始まりとする。その後、明治38年頃に、妙厳寺では末寺の観音寺を当地に移転し、妙厳寺住職の嘉硯黙童を開山として、正式な寺院として大阪別院を発足したといわれる。2階建てになっており、1階は本尊の十一面観音を祀る本堂で、2階が稲荷本殿となっている。2階本殿へは外部階段を上り直接行くことができる。本殿の横にある奥の院には、平八郎稲荷が祀られる。境内に「堂ヶ芝廃寺」の標石がある。古代の瓦片が多数出土し、飛鳥時代の寺院跡と推定されている。渡来人の百済王氏の氏寺の百済寺ではないかとされている。 所在地: 大阪府大阪市天王寺区堂ケ芝1丁目 #じゃらん #じゃらんネット #観光 #観光スポット #神社 #社寺仏閣 #絶景 #Sakamoto119 
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【榎大神】(えのきだいじん)大阪市中央区

この小さな社、【榎大神】(えのきだいじん)を見つけるのは苦労します。谷町筋を北上し、空堀商店街を抜けてしばらく歩きます。路地の突き当たりに赤い鳥居と柵が見えてきます。【榎大神】となっていますが、回りに榎はないです。由緒等は不明です。社の中を覗くと、小さなお稲荷さんのキツネがいます。夜はレトロなランプに明かりがつきます。 場所:大阪市中央区上本町西2丁目5-5 アクセス:大阪市営地下鉄谷町線長堀鶴見緑地線、谷町6丁目駅より徒歩約5分。 #じゃらん #じゃらんネット #観光 #観光スポット #神社 #社寺仏閣 #絶景 #Sakamoto119 

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【近松門左衛門の墓】

近松門左衛門の墓】 谷町筋を南へ向かい、谷町7丁目の交差点を過ぎて直ぐの所、狭い路地の道を入って奥に【近松門左衛門の墓】があります。 左側が日石のガソリンスタンドで、入り口には案内板が建てられていますが、注意していないと見落として通りすぎてしまいます。 大阪市教育委員会の案内板には、「近松門左衛門は、享保九年(一七ニ四)に七ニ歳で没した、近世で最も著名な劇作家の一人である。近松は、竹本義太夫や二代目義太夫のために百件を越える浄瑠璃を著する一方で、坂田藤十郎のために三十数作の歌舞伎狂言を著している。「曽根崎心中」「心中天網島」「女殺油地獄」などの世話物に代表される作品に描かれる人間の姿は、今日に通じるところも多く、伝統芸能や演劇・映画などの中で再創造され、たくさんの人々に感動を与え続けている。近松門左衛門墓は、当初近くの法妙寺(現在大東市へ移転)境内にあったが、昭和五十五年(1980)財団法人住吉名勝保存会はじめ市民の方々の協力を得て、当地に移転し、整備が図られた。」 場所:大阪市中央区谷町8丁目1

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渋川神社】(しぶかわじんじゃ)大阪府八尾市

【渋川神社】(しぶかわじんじゃ)は、大阪府八尾市植松町にある神社。 若江郡の式内社であり、旧社格は郷社。天忍穂耳尊饒速日命、國狹槌尊、日高大神、菅原大神を祭神としている。創建の年月は不明。 かつて飛鳥時代に本地域を本拠地としていた物部守屋の渋河の家の跡ともいわれている。もとは旧大和川の東側の字川向にあったが、天文3年(1533年)の大洪水で境内全域を流失。 この時、浮島神社は数kmほど北の茨田郡新田村に漂着した。その後元亀2年(1572年)、お旅所のあった現在地に再建された。境内には、大阪府天然記念物の大きなクスノキがある。 所在地:大阪府八尾市植松町三丁目3 アクセス:JR八尾駅より徒歩3分。 #じゃらん #じゃらんネット #観光 #観光スポット #神社 #社寺仏閣 #絶景 #Sakamoto119 

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【越中井】(えっちゅうい)大阪市中央区

越中井】(えっちゅうい) 細川家の当主である細川忠興の屋敷の台所があったと伝えられる史跡で、細川ガラシャ最期の地として知られる。越中井戸(えっちゅういど)とも呼称される。秀吉の死後の1600年、会津征伐において忠興が徳川家康に従って出征している間に、豊臣家の再興をもくろむ石田三成が決起。三成は忠興を味方につける為、ガラシャを人質にしようと細川屋敷を取り囲むが、彼女はこれを拒絶し、自らの命を絶ち、屋敷に火を放った。これに驚いた三成は他の大名の家族に手を出すのを控えるよう余儀なくされ、結果多くの武将が家康側に付くこととなった。細川屋敷の焼け跡には、台所の井戸が焼け残っており、「越中井」と呼ばれた。石碑の横を見てみると、ガラシャの句が書いてあります。「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」。 場所:大阪市中央区法円坂1丁目2-1 丁目 アクセス:大阪市営地下鉄中央線大阪環状線森ノ宮駅より南西約500m #じゃらん #じゃらんネット #観光 #観光スポット #神社 #社寺仏閣 #絶景 #Sakamoto119 

 

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