善福寺(ぜんぷくじ)大阪市天王寺区

善福寺(ぜんぷくじ)は、大阪市天王寺区空堀町にある高野山真言宗の寺院。「どんどろ大師」「どんどろ」と通称する。山号は如意山。院号は甘露院。「どんどろ大師」の名で知られる。現在、善福寺のある位置には鏡如庵大師堂(鏡如寺・通称:どんどろ大師)という寺があったが、明治時代に廃寺になっている。その後、明治42年(1909年)1月9日に大阪府豊能郡豊能町(旧大阪府豊能郡東能勢村)にあった如意山甘露院善福寺を鏡如庵大師堂のあった場所(現在地)へ移転し、現在に至っている。本尊は、弘法大師(真如様(しんにょよう)御影。彩色木像。)善福寺は心眼寺の直ぐ近くで、「真田丸の戦死者を弔った寺」とも言われる。

 

所在地 :大阪市天王寺区空堀町10番19号
アクセス:JR大阪環状線 玉造駅 下車、徒歩約8分

 

平成19年(2007年)、どんどろ大師善福寺境内にある勝軍地蔵尊の建立100年と、2009年(平成21年)に、どんどろ大師善福寺中興當地開創百年を迎えることから、この2つの百年を記念して、平成21年(2009年)山門前に、歌舞伎「傾城阿波の鳴門 どんどろ大師門前の場」に登場する「お弓 おつる」母子像の銅像が建立されています。

 

鏡如庵大師堂(きょうにょあんだいしどう)は、宝暦2年(1752年)3月に高野山岩本院 法資法道が大坂夏の陣(元和元年・1615年)の戦死者の霊を弔うために創建されたと言う。鏡如庵とも称する。鏡如庵大師堂のあった付近は、大坂冬の陣(慶長19年・1614年)では、真田幸村真田丸を築き、激戦があった。大坂冬・夏の陣ともに激戦地であった。

 

 

境内には、明治40年(1907年)5月21日に日露戦病死者記念仏として開眼された勝軍地蔵尊(青銅製)があり、大師堂(善福寺の旧山門を移転改築した建物)に修行大師像(青銅製)が安置されています。修行大師に笠が無いのは、戦時中(太平洋戦争 1942年~1945年)に供出(きょうしゅつ)したためとの事です。