恩智左近の墓

恩智左近満一は恩智神社の社家の出で、この地の豪族として恩智城を築き、楠木正成方に味方した八臣の一人である。 湊川の戦の後は、その子正行を助けて南朝方を守ったが不幸にして延元二年(一三三七)七月熱病のため急死した。 傍の墓碑十六基は明治十年の西南戦争に官軍として従軍し、戦死した中河内近在の人々の墓である。西南戦争戦死者墓―恩智左近墓の傍に明治10年の西南戦争に官軍として従事し、戦死した旧中河内郡近在の人々の墓が16基まつられており、感応院にはその位牌がまつられている。 所在地:八尾市恩智中町5丁目

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